Bach in the Subways Day in Tokyo

Explanation / 演奏曲について

「Bach in the Subways Day in Tokyo」で演奏されるバッハの曲について解説します。
文責:横山真男 明星大学准教授(音楽情報)

無伴奏チェロ組曲

かの伝説の名チェリストのパブロ・カザルスによって芸術にまで高められ、今日ではチェリストにとって永遠のバイブルでもあり重要なレパートリーである。歴史的にも、最初にチェロという楽器の可能性が追求され、芸術的かつ技巧的な点も満足された完成された作品といってもよい。
ちなみに、スペインのバルセロナ郊外にあるカザルスの別荘が現在博物館として公開されているが、そこでは当時カザルスが練習したチェロと共にバッハの無伴奏の譜面を見ることができる。

無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV.1007

第1番ト長調は、プレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット、ジーグの6曲で構成されている。どれもト長調らしい明快さと共によく響く和音により構成されているため弾き手も聴き手も心地よく書かれている。特にプレリュードは大変有名で、チェロと言えばこの曲!といったように、サンサーンスの白鳥と共にリクエストの多い曲である。

無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV.1009

この第3番も6曲からなり、プレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、ブーレ、ジーグで構成されている。プレリュードは1番と同じく分散和音の連続進行による展開が見事であり、最初のハ長調の音階が印象的で、1番よりも演奏技術は難しくなっている。ブーレもよく親しまれている有名曲で、軽快で明朗な旋律が人気の理由であろう。

ブランデンブルク協奏曲第3番 ト長調 BWV.1048

ブランデンブルク協奏曲(全6曲)が作曲されたのは、バッハがケーテンで宮廷楽長をしていたときである。
一人目の妻を亡くしその悲しみを乗り越えるため仕事に没頭したバッハは、それまでに書き溜めていた協奏曲をブランデンブルク公に献呈した。その楽曲内では弦楽器だけではなく管楽器や鍵盤楽器も独奏楽器として採用し協奏曲を作りあげており、第5番のようにフルート、ヴァイオリンそしてチェンバロのように種族の異なる楽器が独奏群を担うことは当時珍しかった。なお、これだけ有名になってしまったブランデンブルク協奏曲という呼び名は、バッハの死後音楽史家によって名づけられたもので彼の意思ではない。
第3番は、独奏楽器が存在しない編成であり、そもそも協奏曲の形式にはあてはまらないが、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが各3パートに別れ、ときにユニゾン(同じ旋律を一緒に奏でる)となり、ときに旋律パートと伴奏パートに分かれることを考えると各パートが独奏としても合奏群としても役割を担っており、ここにバッハが協奏曲と付けた由来があるのであろう。第1楽章(アレグロ・モデラート、ト長調)は、軽快な主題をヴァイオリン群がユニゾンで奏されて始まり、この主題がヴィオラへ、チェロへと次々と受け継がれながら展開されていくのが聴きどころ。

コーヒー・カンタータ(カンタータ「おしゃべりはやめて、お静かに」)BWV.211

カンタータとは、歌うというcantareというイタリア語が由来で、このコーヒー・カンタータは世俗カンタータと呼ばれる作品群の中の一つで、もともとは「そっと黙って、おしゃべりめさるな(Schweigt stille, plaudert nicht)」という題の曲である。当時、ライプツィッヒではコーヒー依存症が社会問題になっていて、それを題材にした喜劇であり、こういった別名が付くようになった。
登場人物は、シュレンドリアン(バリトン)とその娘リースヒェン(ソプラノ)、語り手(テノール)で、曲の冒頭で語り手が「おしゃべりはやめて、静粛に!」といった口上で始まる。コーヒーを止めなさいという父、コーヒー大好きと歌う娘、食事や洋服買ってやらんとか、婚活パーティーも禁止だ!という父、また恋人を見つけてくれたらコーヒーをやめると掛け合う娘…などなど言うことを聞かない娘と父のすったもんだのやり取りが面白い。

主よ人の望みの喜びよ(Jesu, Joy of Man's Desiring)

今日では結婚式やクリスマスの場で、様々な編曲のバージョンで奏される有名曲であるが、教会カンタータ「心と口と行いと生活(Herz und Mund und Tat und Leben, BWV.147)」の中の一部で、元々はオーケストラ伴奏を伴う合唱コラールでドイツ語ではWohl mir, daß ich Jesum habeであるので「イエスこそわが喜び」という題の曲である。
17世紀から18世紀にかけて、このカンタータやセレナータのように教会や宮殿などで行事がある時に演奏される、いわゆる機会音楽は当時の作曲家の大切な仕事の一つであった。教会カンタータはその中でも宗教的な色合いが濃く、礼拝の際に合唱と器楽で演奏され、歌詞も聖書の内容で書かれることが多い。この「心と口と~」カンタータは、バッハが1723年にライプツィッヒの聖トーマス教会のカントル(教会音楽家)の職に就いて間もないころに書かれたものである。

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタおよびパルティータ

これら一連のヴァイオリン独奏曲は、バッハ自筆の楽譜がベルリン国立図書館に残っている。しかし、最初に作曲したオリジナルの譜面ではなくバッハ自身が写譜をして残したものであり、よってその表紙には1720年と書いているものの実際に作曲されたのはいつか分かっていない。ケーテン時代以前のヴァイマール時代との説もあり、オルガニストのイメージの強いバッハであるがヴァイマールの宮廷楽団ではヴァイオリンを弾いていたので、その頃に技巧的なヴァイオリン曲の作曲に興味を示したであろうとも想定できる。
もう一つ分かっていないことは、いずれもが難曲でありこの演奏困難な曲が誰のために何の目的で書かれたかという点で、当時の名手のピゼンデルやビーバーといった説が有力であるがその証拠はなく、バッハが自分自身で弾く目的も大いにあったと言われており、その証拠に写譜された譜面には自筆で指番号を書き込むなど演奏メモともみてとれるとのである。

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV.1004

有名なシャコンヌが終曲に配置されており、3曲のパルティータの中でも最も壮大なスケールの組曲である。アルマンド‐クーラント‐サラバンド‐ジーグ‐シャコンヌで構成されるが、どの曲も充実しておりヴァイオリンの弦4本で最大限可能なポリフォニー音楽の可能性を追求した作品である。重音奏法が多用された技術的な難しさと宇宙的な壮麗な音楽性が、登山者を前にしたエベレスト山のごとくヴァイオリン奏者に雄大に立ちふさがり、また、聞く方も襟を正さずにはいられない誠に厳かな曲である。バッハによる弦楽器曲の最高峰がここに有るといってよいだろう。

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番 ハ長調 BWV.1005

アダージョ‐フーガ‐ラルゴ‐アレグロ・アッサイの4曲からなる。第2楽章のフーガはコラール「来たれ、聖霊よ、主なる神よ」の主題を用いられて作曲された長大な曲である。第1楽章のアダージョはこのフーガにつながる前奏曲としてとらえられ、主和音ではなく属和音で終わって次の楽章につながっている。バッハの各無伴奏ソナタはどれもイタリアの教会ソナタの形式に乗っ取った形式にしているが、第2楽章にドイツ的なフーガを配置しているところが特徴といえよう。

ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV.1042

1720年ごろの作品で、バッハは当時はライプツィッヒの北西50kmにある小さな城下町ケーテンの宮廷楽長であった。若い領主レオポルド候は無類の音楽好きであり、アンナとの結婚もし、優秀な楽団があり…と環境的に充実いしていたころで、無伴奏チェロ組曲、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータなどの名曲がうまれた時期でもある。この協奏曲は、数少ないバッハの存命中から出版されたもので、それだけ当時から傑作として認められていたのであろう。今日でも、数多くあるヴァイオリン協奏曲の中でも良く演奏される曲で、明朗で力強い旋律に加え技巧的で華やかなヴァイオリンのソロが聴衆を魅了する。
第1楽章はリトルネッロ(合奏と独奏が交互に奏される形式)と三部形式が合わさった力強い楽章。第2楽章はゆったりとした憂いのある美しいアダージョ。第3楽章は、華やかなヴァイオリン独奏が絶品の爽やかなアレグロ・アッサイ。

2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV.1043

バッハがケーテン宮廷楽長をしていた頃の作品で、ヴァイオリン協奏曲ホ長調よりは少し前に書かれたと推定されている。この二重協奏曲も当時から息子のカールによって楽譜が保存され早くから出版された数少ない曲で、現在、ホ長調の協奏曲とともに非常によく演奏される人気曲である。
第1楽章は、絶妙なカノン風の対位法による2つのソリストが絡み合いが聴き手も弾き手も興奮させる。力強い構造的な第1楽章とは対比的に、第2楽章は歌うようなヴァイオリン独奏の優美な旋律が素晴らしく、第3楽章は重厚さと推進力のある技巧的な箇所もみせ力強く全体をしめくくる。

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